地元民もよく知らなかった『高槻城下町と高山右近に出会うコース』

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阪急沿線観光あるきガイドツアーに参加しました   

2023年10月21日(土曜日)高槻市観光シティセールス課の主催の阪急沿線観光あるきガイドツアーに行ってきました。10月下旬ですが、天気もよく暑いくらいの大変温かい日でした。
コース内容は、阪急高槻市駅(スタート)―理安寺―本行寺―カトリック高槻教会―野見神社・永井神社―天主教会堂跡―高槻城公園芸術文化劇場―高山右近像―高槻城公園・歴史民俗資料館―菁莪堂跡―しろあと歴史館(ゴール)約2.5km街歩きをして 所要時間は約2.5時間のコースでした。
ガイドをしていただいた方のご説明がとても分かり易く、改めて高槻が好きになりました。
長らく高槻に住んでいますが、知らないことが多すぎて色々と勉強になりました。

例えば野見神社の中に永井神社があったり・・・(小島神社もありました)
※永井神社は、旧城内にある野見神社の摂社で、寛政5(1793)年8月に9代高槻藩主永井直進が、初代直清を祭神として創建しました。嘉永元(1848)年には、11代直輝が初代直清の高槻城入城200年を記念して、社殿を修復し、併せて唐門と拝所を造立しました。江戸時代の建築様式をよく表す高槻藩の歴史遺産として指定文化財となっています。参照
よみがえった「永井神社唐門」 – 高槻市ホームページ (city.takatsuki.osaka.jp)

高槻城は、戦国時代にキリシタン大名の高山右近らが城主を務めたことでよく知られていますが、
高槻市立第一中学校の学校敷地はその高槻城内にあり、1909年から1945年にかけて駐屯した工兵第四連隊(当初は大隊。第四師団隷下)の跡地に立地していたことです。グラウンド西側入口あたりにたっている「工兵第四聯隊跡」碑や、かつて構内にあった工兵第四連隊営門を分離して史跡として保存されていました。

また、槻の木高校敷地内の体育館がある場所は江戸時代の本丸が立地していたというのは驚きでした。前身の府立島上高校で昭和50年、約90個の石垣の石が出土したそうです。
大阪府のホームページにも非常に興味深い資料がありました。
大阪府/槻の木(つきのき)高等学校(高槻城跡) (osaka.lg.jp)
現在の高槻警察署の場所は、高槻城の外堀の場所にあたるらしく、当時のお城の大きさがわかります。(2024年に高槻警察署は高槻島本夜間休日応急診療所の跡地(南芥川町)に移転するそうです)

明治7年(1874)当時、京都から大阪間の軌道敷設のため、多量の石材を必要としていました。そこで多量の固い花崗岩石材である高槻城の石垣を芥川にかかるJR鉄橋の橋脚に転用されたり、JRのガードに石垣の石が転用されたそうです。
またこのようなガイドツアーがあれば参加したいと思いました。
ご興味があれば是非、高槻城公園・歴史民俗資料館にも足をお運びください。

【図】たかつきじょうあとのいちずとはっくつちょうさちてん

【図】めいじじゅうはちねんのちずにえがかれたたかつきじょう。ほりやくるわのこんせきがよくのこっています。
【写真】芥川にかかるJRの橋脚に高槻城の石垣の石が使われています
【写真】JRのガード下にも高槻城の石垣の石が使われています

 

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